父の遺品となってしまったノートパソコンのディスプレイを前に、僕はなんだか複雑な気持ちでいた。
機械工学科出身の父は、変なところでマニアックであり、パソコン・オタクの僕と何度もチップセットのことを語り明かしたものだった。
父さん・・・・・・・
電源スイッチを押すと、にぶい音を立てて、ディスプレイが光り始めた。
パスワードを入れてください。
父の指定したパスワード。答えはもうわかっている「michiko」だ。これは僕と父との秘密。僕が墓場まで持っていかなくちゃいけない秘密。父さんの初恋の人の名前だ。
どこかにその甘酸っぱい思いを引きずっていたかった父は、いろんなパスワードを「michiko」にしているってむかし教えてくれたんだった。だから僕は遺品を分けるときに、このノートPCを真っ先にゲットしたのだった。
やがて、画面はさらに明るくなった。OSが立ち上がったのだ。
父さんはこのディスプレイを前に、どんなことを思っていたんだろう・・・・・よく、メールとかくれたっけな。
几帳面に整理されたデスクトップ。壁紙は愛犬ジョンの写真だった。
ふと、眺めていると、メールチェッカーが立ち上がった。
「メールが着ています 7件」
父にメールだ。今はやりの迷惑メールだろうか。
僕は慣れた手つきでメーラーを起動する。父の受信トレイを開いたとき、僕はびっくりした。
貯まっていた7通のメールの差出人、それはすべて「michiko」だった。
誰だ・・・ろう・・・・父さんの初恋のmichikoさん・・・・なのか?
僕は恐る恐るメールを開いた。そこにはこんなことが書いてあった。
「連絡がこなくて心配しています。あなたの残り香が消えぬボールペンを毎晩抱きしめています・・・・。」
このmichikoさんは父が死んだことを知らないのだろうか、送信日は昨日だった。
父はとっくにこの世からいなくなったというのに。
残りの6通のメールもすべて父に会いたいという内容だった。
どことなく彼女の文体に並々ならぬ父への愛情が感じられた。
僕は思わず古いメールをどんどん呼んでいった。どうやら、父と「michiko」さんは、体の関係もあったようだ。
父さん・・・・・なんだよ、このmichikoって・・・・母さんは知ってるのかな・・・・・
僕は疑念を捨てきれないので、michikoさんに返信してみた。
「はじめまして、勇作の息子のミツルです。父は先々週死にました。あなたは誰ですか?」
michikoさんから返信がきたのは、翌日のことだった。
「嘘でしょう?あなたは本当に息子さん?あの人はまだいるでしょう?説明を聞きたいです、電話ください 090-********* michiko」
僕は、なんとなく迷惑に思いながら、電話をかけることにした。
だいたい、父の初恋の人って今60歳?70歳?僕だってとても立ち直りきれてないのに、どうしてそんなおばあさんに教えてやらなくちゃいけないんだ。
まったくいぶかしい話だ。父さん、どうしてこんな厄介なことを残して死んだんだ。
しかし、電話に出た声が、とても若かったのだった。
「もしもし」
「あの、勇作の息子のミツルですが」
僕の声が突然震えだした。
「あ・・・すいません、○○ミチコといいます。」
カナリヤのような素敵な声だった、僕の心は少しとろけてしまった。
いや、はっきり言わなくては。
「メールの件ですが、父は、死にました。」
「本当に・・・・!!」
ミチコさんは絶句していた。やがて、泣き始めた。
まるで春の小川のせせらぎのように、静かに、しかし強く、受話器の向こうでミチコさんはずっと泣いていた。
「あの・・・・大丈夫ですか。」
僕はなすすべもなく、慰めるでもなく、彼女のすすり泣きをずっと聴いていたのだった。
父が愛したのはこの人だったのか・・・・・。
まるで陽だまりの猫のようにずっと泣いている彼女の声を聴きながら思った。そしてしゃくりあげながら、僕に言ったのだった。
「今度会ってくれませんか。お父様の、話を、聞かせてほしいんです。」
それは第三土曜日の午後だった。僕は約束のスターバックスで彼女を待っていた。
2分くらい遅れてやってきた彼女の姿に、僕は息が止まるほどびっくりしたのだった。
「きれいだ・・・・・。」
それはまるで、真冬の雪景色の中に咲いたアブラナのような可憐な手足、そして完璧な美しい顔。
清楚そうな身のこなし、そして、ミニスカート。
「はじめまして。ミチコです。」
僕は彼女の美しさに目を奪われてしまった。
「あの、なんか飲みますか」
「じゃあ、キャラメルまきアートを」
僕はレジへと走っていった。そうしないとやっていられなかったからだ。彼女のあまりの美しさにすっかり心を奪われていて、僕の体は熱くなりはじめてしまっていた。
父さん・・・・・こんな素敵な若い女の子と・・・・・
夢うつつでキャラメルまきアートを抱えて席に戻ろうとしたその時、僕の足元をおもちゃの機関車が通過していった。
「アッ!!!!」
僕はそれにつまづいて転んでしまった。
キャラメルまきアートは、彼女のスカートに飛びちってしまった。
「たいへん、汚れちゃうよ」
僕は紙ナプキンでそれをいっしょうけんめいぬぐおうとしたんだ。そうしたら、彼女の、ワカサギのような細い指が僕の手をつかんだ。
「いいのよ。」
「どうして?」
僕は彼女をみあげる。
「キャラメルまきアートのにおいといっしょにいられるじゃない?」
彼女につかまれた手が、まるで電流が走ったかのようにしびれた。なんて優しい手をしているんだろう・・・・・
僕の体すべてが、彼女に支配されつつあるのを感じていた。
たまらなくなった僕は、彼女の目を見ていった。
「洗濯するので、脱いでください!!!」
彼女はミニスカートを抜き、パンティー一枚になった。
そのまま僕らは、渋谷の町をかけぬけ、僕のベッドでひとつになったのだった。
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